
なぜ人は動けないのか?―最新の脳科学に学ぶ「ブレーキを外す」モチベーション論
「やる気を上げるにはどうすればいいのか」
多くの現場で繰り返される問いです。やるべきことは分かっているのに動けない。部下も納得しているのに行動が始まらない――その背景を、私たちは“モチベーション不足”と捉えがちです。
しかし最新の脳科学研究は、問題は「やる気の量」ではなく、行動を止める“ブレーキ”にある可能性を示しました。この記事では、行動開始を阻むメカニズムと、マネジャーにもメンバーにも役立つ「ブレーキを外す」視点を解説します。
「正論」と「情熱」だけでは、なぜ現場は動かないのか?
「変革の重要性は伝えた。報酬も用意した。本人も『やります』と言った。それなのに、現場が一向に動かない……」
多くのマネジャーが直面するこの悩み。
その原因を「メンバーのやる気がない」「危機感が足りない」のように、個人のマインドの問題として片付けてしまうことはないでしょうか。
実は今、最新の脳科学研究がこの定説を覆しつつあります。
メンバーは「やる気がない」のではありません。「脳の強力なブレーキがかかっていて、動きたくても動けない」のです。
今回は、2026年1月に京都大学高等研究院ASHBiの研究チーム(Oh et al.)が解明した「行動開始のブレーキ」のメカニズムを紹介しながら、お役立ち道経営におけるマネジメントの新たな視座として、「ブレーキを外すマネジメント」について考えたいと思います。
「やる気」と「ブレーキ」は別の回路だった
これまで私たちは、モチベーションを一本のメーターのように捉えがちでした。
「やる気(燃料)を注げば、車(行動)は動く」という発想です。
しかしASHBiの研究により、脳内には報酬を期待して行動を促す回路(アクセル)とは別に、コストやリスクに反応して行動開始を止める回路(ブレーキ)が存在し、それぞれが独立して働いていることが明らかになりました。
具体的には、脳内で次のような綱引きが行われています。
アクセル側は「これをやれば成長できる」「評価される」と報酬を予測します。一方でブレーキ側(VS-VP経路と呼ばれる)は、「面倒だ」「失敗したら恥をかく」といったコストや不安を察知して、行動の開始をストップさせます。
この研究で示された重要な事実は、コストやリスクを伴う状況下では、ブレーキ回路が行動の「開始」を選択的に抑制してしまう、ということです。
つまり、変革に足踏みするメンバーの脳内では、エンジンがかかっていないのではなく、ブレーキが強く踏み込まれている状態なのかもしれません。
この状態でマネジャーが「もっと頑張れ!未来は明るいぞ!」と正論や情熱でアクセルを吹かせばどうなるでしょう。ブレーキを踏んだままアクセルを空回しさせれば、エンジンは焼き付き、心は疲弊してしまうでしょう。
「判断」はできるのに「着手」だけが止まる
この研究でとりわけ注目すべきは、ブレーキ回路が働いても「何が良い選択か」という判断能力は損なわれていなかったという点です。
「やるべきことは分かっている。でも体が動かない」。この現象が、脳回路のレベルで区別されることが示されたのです。
これは現場でよく見かける光景かもしれません。研修で学び、マネジャーから言われ、本人も「そのとおりだ」と思っている。判断は正しい。なのに、翌日の行動は何も変わらない。
「正しいことを伝え続ければ、人は動く」という考え方がなぜうまくいかないのか。この研究は、その理由を「意志の弱さ」ではなく、「脳の回路の問題」として示しています。
失敗は「連鎖」する ― 一度かかったブレーキは外れにくい
さらに研究では、もう一つ重要なことがわかっています。直前の試行で失敗(エラー)が起きると、その影響が次の行動開始にまで波及し、さらに動けなくなるのです。
一度失敗すると、次の一歩がもっと重くなる。また失敗すると、さらに重くなる。こうしてブレーキはどんどん強化されていきます。これは感覚的には理解できるのではないでしょうか。
この現象は、過去の経験から形成された「ネガティブな考え方(悪い予測)」が行動を抑制する構造と、方向性が重なります。「新しいことをやれば、痛い目に遭う」という予測が、次の挑戦を脳レベルで止めてしまうわけです。
マネジメントの転換:「足し算」から「引き算」の視点へ
メンバーが動けないとき、マネジャーがすべきことは、さらに燃料(動機づけ)を足すことではないのかもしれません。「何がブレーキになっているのか」を見極め、それを取り除くこと、つまり「引き算」のアプローチが必要ということです。
では、現場でメンバーの足を止める主なブレーキにはどんなものがあるでしょうか。整理すると、3つのブレーキが見えてきます。

1. 心理的ブレーキ(失敗への不安)
未知の挑戦には失敗がつきものですが、脳はコストやリスクを伴う状況を検出するとブレーキ回路を作動させます。「失敗したらどうしよう」という不安です。
これを解除する鍵は「心理的安全性」にあります。
「失敗しても大丈夫」「挑戦したこと自体が評価される」という安心感を醸成すること。時に、マネジャーが自らの失敗を語ることも有効でしょう。こうした環境を心理的安全性(Edmondson, 1999)と呼び、チームの学習行動を促進する条件として重視されています。
2. 認知的ブレーキ(手順の不明確さ)
課題が大きすぎたり複雑すぎたりすると、脳は処理コストが高いと感じ、行動開始にブレーキがかかります。「何からやればいいか分からない」という状態です。しかも、前述のとおり直前の失敗は次の行動をさらに抑制してしまいます。
これを解除するには「スモールステップ化」が有効です。
例えば大きなビジョンを語った後や、新しい取り組みを始める際には「最初の一歩」を取り組みやすいように極力小さくする。「まずはこれだけでいい」とハードルを下げれば、脳が検出するコストも小さくなります。そして小さな成功を重ねることで、エラーの連鎖を断ち切ることができるのです。
3. 社会的ブレーキ(孤立への恐れ)
人は社会的な生き物です。「集団から外れること」への不安は強力なブレーキになります。新しい行動をとることで「意識高い系と思われないか」や、「和を乱さないか」といった懸念は、新しい行動に向けて足を止めることにつながりかねません。
このような状況に陥らないようにするための1つは、「自分だけではない」と思える環境づくり、つまり「集団の合意形成」です。
個別に説得するだけでなく、チーム全体で「この変革がお客様や、他部門、お互いのためになる」という合意を作ることです。「みんなでやる」、「お互い様」といった空気が醸成されることで、社会的なブレーキは緩和されるでしょう。
おわりに:「足し算」を活かすための「引き算」
もちろん、「この仕事には意義がある(ビジョン)」や「頑張れば報われる(評価)」といった「足し算(動機づけ)」のアプローチが不要なわけではありません。車を走らせるには、当然ガソリンは必要です。
しかし認識しておくべきは、「ブレーキがかかったままでは、どんなにガソリンを入れても走らない」ということです。
「なぜ動かないのか・・・」と嘆く前に、「何がメンバーのブレーキになっているのだろう」と問いかけてみる。
その不安や障害を取り除く「引き算の関わり」があって初めて、マネジャーの情熱やビジョンという「足し算」が、メンバーの心に届き、推進力へと変わるのではないでしょうか。
「メンバーは本来、前に進みたがっている」。そう信じて、行く手を阻むブレーキを取り除いてあげること。これこそが、メンバーの自律的な行動を促す、マネジャーならではの「お役立ち」です。
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個人のブレーキを外すことができたとき、組織として“挑戦”をどう根づかせるかが次のテーマになります。
▶ 挑戦の価値観は、どうすれば育つのか
▶参考文献
本記事は、以下の研究・理論を背景として構成されています。
京都大学ASHBiプレスリリース:[嫌な仕事を『始められない』脳回路を解明](https://ashbi.kyoto-u.ac.jp/ja/news_research/21576/)
Oh, B.-Y. et al. 2026. Motivation under Aversive Conditions Is Regulated by a Striatopallidal Pathway in Primates. Current Biology.
Edmondson, Amy C. 1999. Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams.Administrative Science Quarterly 44(2): 350–383.
※本記事の「3つのブレーキ」の分類は、Oh et al.論文からの直接的な帰結ではなく、ジェックの解釈に基づくものです。

















